欅のドキュメンタリーを見て(ネタバレ一応あり)

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見てきた。
映画館で見るのにワクワクしないのはSWのEP7~9ぶり。
まあ、EP7~9と違って見るのが嫌だったわけじゃないが。
ドキュメンタリー部分を抜いたライブシーンのみにしたら最高だった。
あたりまえ体操

まずはじめに、(少なくとも秋元康プロデュースの)アイドルというのは、
個人としても、グループとしても、苦悩から歓喜というベートーヴェン
「運命」のようなストーリーを売り物にしている。
これは大前提。
そういう意味では「日陰」にいた「けやき坂46」が「日向坂46」という
「陽なた」へ移ったというのは、その典型的なものなんだよな。
指原がまだAKB48にいた時に握手したくらい古くから康系のグループを見ている
人間からすれば別に目新しいものではないのだけど、若いヲタクには新鮮で
素晴らしいものに感じるのだろう。
苦難続きで歓喜が訪れる気配も見えないところからそちらの方へ飛びつくのは
いいが、去るなら黙って去りなさい。
後足で砂をかけるように出ていくのは見苦しい。
言っとくが帰ってくるとこはないぞ。改名するからな。ハハハ。

話が、それた。

とにかく、ドキュメンタリー映画では苦悩→歓喜のストーリーのうち、苦悩の部分が
よりフォーカスされるだろう、欅の場合苦悩の原因はどうせあのこと・・・。
しかし平手が言っているように、映画で話されていることがすべてではない、
そういったことを心にとめて見ることにした。

ということで、感想は「映画で話されていることがすべてではない」というのを
差し引いても言えるだろうことを感想メモとして残しておく。
(何なら配信ライブで改名を聞いた後にメモしたものをそのまま流用している
ところだってある)

まあ・・・いろいろあったんだね。絶対的センターだった平手も平手だし、
他のメンバーも他のメンバーだったというところはあったみたいだね。

平手に関して言うと、いろいろあったというところで平手も平手だと言ったものの、
やっぱりすごい人だと思わざるを得なかった。
あの流れからの「角を曲がる」で涙が出た。
ロッキンのインタビューを読んで思ったことを足して言うと、自分らしく、
のびのびと、無理はしないで、やって欲しいと思う。
平手も平手だというところでは、この先はもうソロなので、それが原因で声が
かからなくなったとしても本人だけが困る話なので、それもいいでしょう。
それでも声のかかる人だと僕は思っているけどね。

グループに関して言うと、この先の「欅」、「新しい欅」が見れないのは残念、
という気持ちはやっぱり大きい。
平手がライブ欠場となった時、映画で描かれているようにあれだけ苦悩した。
でもあの時は逃げずに立ち向かった。
その結果、平手がいなくても魅せるという覚悟と十分に魅せられる自信が彼女たちに
ついたと思うし、実際そういうグループになっていたと思う。
でなければあんなに堂々と紅白でパフォーマンスできない。
今では「代理センター」ではなく「○○ver.」と言えるようになった。
2期生も入ってきた。平手のいない欅の未来は十分明るいものだったんじゃないか。
過去の欅のイメージ、センターのイメージのことがあるので、改名して新たに
スタートした方が、というのは逃げじゃないかというのが頭に浮かんだ。
あの時逃げずに立ち向かったのに、ここにきてどうして改名して仕切り直す
という形で逃げるのか、と。
確かに世間では、欅=平手というイメージが強かったかもしれない。
でもそれは、バルセロナの試合をマンデーセレクションで流れるメッシの
ゴールシーンでしか見てないようなもの。気にする必要はない。
それくらいメンバーの力を信じていたから残念だ。

メンバーがどうのこうのというのを脇へ置いても、もう欅坂としてあの曲も
この曲も見れない、overtureに関しては完全に聞けなくなる、というのを考えると
やっぱり残念。
(そういえば日向はひらがな時代の曲はどうしてるのかしら)

まあ、改名はセンターの脱退を含めた欅の状況とは無関係で、いずれにせよ
強行されるものだったかもしれない。
この手の悪趣味なサプライズは康系のグループのお決まり。
お決まりというのは、サプライズが発表されて、メンバーが「(こういうことに
なって私たち自身戸惑ってるけど)私たちについてきてくださるとうれしいです」
と言い、ヲタクは拍手をする、というのもので、結局欅の改名もその1つに過ぎない
のかもしれない。
あれやこれやと言いながらも追いかけ続けてしまうのがヲタクの性。
ヲタクは今までも秋元康に振り回されてきたし、懲りずにこれからも振り回される
のである。改名も予測できない未来も嫌いじゃない。ってやかましいわ。

何の話だっけ。

結局のところ、運営のコントロールミスというのはあったんじゃないかなと。
上述したように平手も平手、他のメンバーも他のメンバー、というところは
あったように感じてしまう。
けど、もしあったとしたら、そういうところもコントロールするのが大人がいる
運営というものではないのか。まあ、運営というのは大抵クソなんだけど。
TAKAHIRO先生の言う、「見守り続ける」というね・・・。

ドーム公演直後に平手が脱退して、そのあとに9枚目が問題なくリリースできた
世界線は・・・・正直アリだったんじゃないか、とか、ひょっとするとそれが
一番みんなにとってハッピーだったんじゃないかとか、思わずそんなifを想像した。

えーっと、はい、まとめると、配信ライブを見て、改名の話を聞いて、そして
映画を見て抱いたのは、残念無念という気持ちが8割、この戦力で新しいグループ
としてゼロからスタートするところが見れるのはそれはそれで楽しみ、という気持ちが
2割、です。今のところは。
改名という形を取ることでしか状況を打開できなかったという点では
けやき坂46と同じと考えることもできる。
新しいグループは今の日向ほどとまでは言わなくても、それなりに躍進できるだろうか。

僕自身は・・・とにかくラストライブを見ること。
その先は分からない。日向のように好きなメンバーはいるものの、ライブに行くほど
深く追いかけないという可能性もないとは言えない。
東京ドームであれだけのものを見れたので、ラストライブは行けなくて、ドームが
参戦した最後のライブだったとしても悔いはないと言ってもいい状態ではある。
どうなるか、見てみよう。


最後に。欠けていいメンバーなんていないよ。なあ、虹花。