2018年ロシアW杯感想

2018年ロシアW杯の日本代表を見て思ったこと。
やっぱり吐き出しとかないとモヤモヤが溜まったままになると思う。
前回も書いた。
あくまで素人が「思ったこと」なので証拠があるわけでもなんでもない。
ただの「思ったこと」。
まあ、スポーツ紙にあることないこと書いて金を貰うわけではないので。
 
●「私が厳しい要求をしているわけではなく、ワールドカップ本大会が厳しい要求をしている。」
今回のW杯について、結論から言おう。
日本代表の地力は、ベスト16にいけるかいけないかくらいまでにはなったと思う。
そこから先、日本代表が「世界の壁」、「ベスト8の壁」を超えるために必要なものは、
ハリルホジッチが日本代表の選手たちにずっと求めていたものだったと気づく日が、必ず来る。
  
●明らかにすべき解任の背景
まず解任の背景を明らかにしなければならない。
E-1では韓国に惨敗、ウクライナ、マリ戦では未勝利。成績不振を理由にすることはできたはずだ。
ハリルも韓国に負けたことが理由ならまだ納得できたと言っている。
しかし田嶋会長が解任理由としてあげたのは「信頼関係が「多少」薄らいできた」
という極めてあいまいな理由によるものだった。
どういうことなのか、田嶋会長の解任会見を読み直したがさっぱり意味が分からなかった。
ハリルが起こした訴訟で明らかになることを祈るしかない。
 
●検証すべきこと
何がハリルの遺産で、何が西野の功績なのかを検証しなければならない。
ハリルホジッチが使ってこなかった、日本の良さがあるかもしれない。
検証の結果、そういうデータが出てきて一向に構わない。
「ハリルならベスト8まで行けた」と言いたいのではない。
それは立証のしようがない。
同時に、「ハリルならベスト16は無理だった」も立証できない。
 
「ハリルならあそこまで機能した乾-香川-柴崎のユニットは使わなかった」と、
一時思ったが、それも分からない。
最終予選のオーストラリア戦の2試合を見ても分かるように、相手を叩くのに最適な戦術を使い、
それに合ったその時一番コンディションが良い選手起用をする監督だったので、
このユニットがハリル体制で生まれなかったとは言い切れない。
 
1つ1つのプレーを取り上げて、どれがハリルのコンセプトで、どれが西野のコンセプトで、
そのうちのどれが通用して、どれが通用しなかったのかを分析していくほかなさそうだ。
 
いずれにせよ、今回のW杯はベスト16にはなったし、ベルギー相手に接戦を繰り広げはしたが、
11人相手に勝った試合は1つもないということを厳重に受け止めなければいけないだろう。
最悪なのは、解任を正当化するために、本大会で通用したハリルのコンセプトを無視してしまうことと、
「監督が代わって準備期間が少なかったがベスト8まであと少しのところまで行った。」
といい気になることである。
 
この検証をしなければ次に繋がらず、今大会の結果で良かった
ところは田嶋が会長在任中にベスト16になったということ(田嶋にとって良かったというだけ
なのだが)と、ベテラン選手がいい思い出を作れた、というだけになる。
 
そして、ハリルの戦術、選手との関わり方について、イメージでハリルが一方的に悪かったと
決めつけてしまう前に、選手(協会)側に落ち度はなかったかも検証しなければならないだろう。
万が一、選手(協会)側に落ち度があったとしたら、誰が監督になっても同じことが起きてしまう
かもしれない。
 
これについて、「日本人は規律を守る」は本当か、「コミュニケーション」の問題は協会にも
あったのではないか、「日本らしさ」の再定義が必要、という3つの視点で考えてみたい。
 
●「日本人は規律を守る」は本当か
ある程度のベースだけはチームで意思統一して、攻撃での自由度に関しては選手に任せるのが
西野のやり方だったそうだが、そのベースの厚さがザック、ハリルとの違いであり、
「世界との差」だと想像する。そのベースを作るために必要なのが、決まり事、規律では
ないだろうか。
 
元横浜Fマリノス監督のモンバエルツはこう語る。
「日本で難しいのは、選手が自分のポジションを遵守しないからだ。
 ボールが選手のもとに来るのであって、選手がボールを求めて動くのではない。
 そのやり方を日本で貫徹させるのはとても難しい。選手がポジションを保つことができず、
 必要なスペースをちゃんと埋められないのだから」 
    横浜F・マリノスでの3年間を告白。モンバエルツ前監督は何を目指した?

 

今回の代表で選手が解任要求メールを会長に送った、などというクーデター説は

ゴシップに過ぎないが、「規律を守らない」問題はあった可能性がある。
ウクライナ、マリ戦でのハリルの指示に対して、「そんなに全部蹴れない」とか、
「1本のパスだけで点は取れない」というコメントは現に出ているわけで、
    「蹴れ、蹴れ、蹴れ」 ハリル監督の指示に選手も困惑!? マリ戦の舞台裏とは?
 (Football ZONE web) 
    ハリル監督指示通りの「縦に速い攻撃だけじゃ無理」選手ら改善点口々に : スポーツ報知

 

このようなコメントを見ると戦術上の決まり事を必要以上の縛り付けであると
選手たちが誤って認識していたのではないかと疑ってしまう。
 こう疑うのには訳がある。ザック時代に本田が決まり事が多すぎるとザックに言って、
そんなことはないととたしなめられていたという過去があるからだ。
 
本田「攻撃の際の約束事や義務があって、それを若手は守ろうとしすぎてて、
   窮屈にプレーしているように見える。もっと自由にさせてくれたら攻撃の
   バリエーションが増える」
ザック「義務を多く与えているつもりはない。「形」を作っているだけでそれ以上の義務は
    与えていない。この形を作ったら、あとのチョイスは自由にすればいい。
    「自由にやる」といっても、ある程度の約束事は必要。」
(「通訳日記」より要約)
 
ハリルからすれば、「形を作ってるだけなのだが・・・。」という話だったのではないか。
ザックにしても、ハリルにしても自分が定めた決まり事を選手たちが守らないわけだから、
「規律を守っていない」ことになる。
 
ザックの時は直談判を続けザックの意志を折り、ハリルの時はやり方が強引だった、
というのを言い訳にして、決まり事を守ること、すなわち
ハリルの言う「W杯本大会が求める厳しい要求」を満たすことから逃げたとは言えないだろうか。
もし本当にそうだったとしたら、ハリルのやり方がダメだったかどうかの検証が
できなくなってしまうのだが・・・。
 
決まり事を決まり事として捉えられないとしたら、それは戦術理解上重大な問題である。
選手がこの問題を抱えているかどうかは、ひょっとすると、その選手がどのレベルで
プレーしているかどうか(4大リーグ1部で主力として出ているか、ベンチなのか、
欧州まで行ったが活躍できず日本に戻ったのか、など)に表れているかもしれない。
 
●「コミュニケーション」の問題は協会にもあり
ハリルにも落ち度はあった。もし「形」を作れと言っているだけで、そこから先は自由だ、
というつもりだったのならそうと、分かりやすく説明すべきであった。
選手同士の「話し合いはなかった(させてくれなかった)」
というのも、話し合いをする以前の原則を叩き込むためだったからだと説明すべきだったのかも
しれない。
しかし、選手たちがどういう認識でいるのか、一番分かっているのは「日本人のことをよく分かっている」日本人で構成された協会(技術委員会)だったのではないか。
まさしく「問題があるならなぜ言ってくれなかったのか」である。
この状況を見て何か動いたのだろうか。田嶋会長曰く、西野”技術委員長”は「ハリルホジッチ監督を最後までサポートしてきた」らしいが、これでは何を見てきたのか、何をしてきたのかと言われても仕方がない。
これが、責任論で言えば西野技術委員長が後任監督になるのがおかしい、という意見が出る理由であろう。
 
 
コミュニケーションに関連して、指揮官(リーダー)と部下の関係について、違う視点から見てみる。
サッカーとは全く関係がない、日本人の国民性に関わるところだ。
 
中根千枝という、日本人の傾向を分析した本で有名な学者がいる。
その著作「タテ社会の力学」と「タテ社会の人間関係」で興味深い記述があった。
「自分たちの世界(集団)に属さない人の命令は、たとえ自分たちよりもはるかに上位者であること
 がわかっていても行われがたいのである。心情的には、自分たちの気持が通じていないような
 人の命令には従わないのである。」(「タテ社会の力学」中根千枝)
 
「天才的な能力よりも、人間に対する理解力·包容力をもつということが、何よりも日本社会に
 おけるリーダーの資格である。どんなに権力·能力·経済力をもった者でも、子分を情的に
 把握し、それによって彼らと密着し、「タテ」の関係につながらない限り、よきリーダーには
 なりえないのである。」(「タテ社会の人間関係」中根千枝)
 
「人と人とのなじみ合いがうまくいかないと、集団の内部が陰湿になったり、ヒビ割れが
 できやすい。それが過度の状態になると、ソトに対してその集団成員の上下の礼節が
 守られなくなり、それによって集団はその弱体化をソトに露呈するようになる。」
(「タテ社会の力学」中根千枝)
 
外部の人間が指揮官に就任。強引なやり方に部下は反発。事態が収まらなくなって内部の
人間が交代で指揮官に就任。一定の成功をおさめて終了。
 
日本代表の話ではない。「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」
のプロットだ。例を出せばいくらでもありそうだ。
 
ともかく、もし、このような傾向が本当にあるとするならば、なおいっそう「日本のことを
よく分かっている」日本人が仕事をしなければならなかったのではないか。
 
後任監督について言えば、相当日本に(文化面で)詳しい外国人監督を探すか、日本人が欧米で
最前線のサッカーを勉強して経験を積みW杯本戦でも動じることなく指揮できる監督に
なるまで待つかのどちらかになってしまうが・・・。
 
 
 
●「日本らしさ」の再定義を―日本の強み―
後任監督を誰にするか、を考える前に「日本らしいサッカー」とは何か、「日本の強み」とは
何かを改めて定義し、協会、監督、選手、育成部門すべてがそれを統一された見解として
共有する必要がある。統一する、といっても1つでなければいけないというのではない。
長所はたくさんあった方がいい。ただ、それが共有されていなければ「やりたいサッカー」が
それぞれ異なってくる。この見解の相違がどういう問題を引き起こすかは、前大会や今大会を
見れば明らかである。今大会では監督の本戦2か月前の解任という異常事態の遠因となった
と言っていいだろう。
ここで日本の良さについての発言をいくつか見てみよう。
 
「スピードとインテンシティ溢れるサッカーを展開すること。」
元日本代表ザッケローニ監督
(「通訳日記」)
 
「堅実でスピードがありカウンターの精度が高かった」
ベルギー代表マルティノス監督 
ベルギー代表監督、大健闘の西野ジャパンに賛辞「日本は完璧な試合をした」 https://www.soccer-king.jp/news/world/wc/20180703/788071.html
「日本人にはスピードと強い意志がある。」
元日本代表オシム監督 
オシム、日本サッカーの「日本化とは何かを更に考えて…」。日本代表のW杯展望語る
 
 「日本らしいサッカーというのは、しっかりとボールを繋いでいくこと。」田嶋幸三会長
 【会見全文|前編】ハリル電撃解任、衝撃人事に田嶋会長は「選手たちと監督の信頼関係が...」 |

 日本人が思っている日本人の良さと、外国人が思っている良さとでは違いがある。

これは視点の違いによるものだろう。
それでも、日本サッカー界のトップに立つ人間が思っている日本の強みと、
外国人(監督、選手)が思う日本の強みがこうも違うというのは問題ではないだろうか。
 
スピードがあり、カウンターの精度が高いにもかかわらず、その特長を潰してまでボールを
つなぐサッカーをして負けているのだとすれば、こんな馬鹿は話はない。
 
●「日本らしさ」の再定義を―「団結力」は「組織力」にあらず―
監督が代わってみんなが団結した。だから結果が出た、団結力が日本の強みだ、という声もある。
単純に「ベスト8を目指す!」という目標のために団結できなかったのだろうか。
別に「ハリルのおっさんを今に見返してやろうぜ」の一心で団結してくれてもよかったのだが。
なんにせよ、「団結力」というのは人と人の「情的」な結びつきであり、論理による結びつき
ではないと考えている。
成功した時は喜び、失敗した時は悔しさ、いずれも「情的」なものを共有するというものだ。
どちらに終わっても感情の共有によって「情的」な結びつきは強化される。
だが言ってしまえばそれだけである。
「情的」な結びつきが不要だとは思わない。
それも重要だが、それだけでは不十分だ。
論理が必要である。論理は決まり事の塊であり、これを遂行する力が「組織力」である。
情的なものと理論が合わさったものが組織力ではないだろうか。
 
ベルギー戦では最後の最後、カウンターでやられた。
あれができるのが組織力だ。日本は組織力に負けたのである。
  
●「日本らしさ」の再定義を―日本の弱み―
日本の「弱み」は、日本を指揮した外国人指揮官のコメントを見ると、
「デュエル」、「フィジカル」、「したたかさ」のようだ。
 
ハリルが求めたデュエル、フィジカルについては五百蔵容氏の「砕かれたハリルホジッチ・プラン」に
詳しく書いてあるので、ここでは触れないが、そこに書かれていないことで気が付いたことが
あったので触れておく。2006年のドイツW杯後のジーコ監督の退任会見だ。
  
    「ワールドカップでは、体格差を強く感じた。上背の問題は仕方ない面もあるが、90分耐えうるベースの問題、たとえば上半身・下半身の強さなどをどんどん鍛えていけば、自分たちの持っている力を発揮できると思う。」
    【日本代表 ジーコ監督退任記者会見】「悔いも恥じることも、何もない。全身全霊で打ち込めた4年間だった」:J’s GOALアーカイブ:Jリーグ.jp

 

フィジカルが大事、というのは何もハリルが言い始めたことではなかったのだ。
12年も前にジーコが指摘していたにもかかわらず、ハリルにフィジカルに指摘されたということは、
フィジカルを取り組むべき課題として見ていなかった可能性がある。
これについては、ハリルが前に指揮していたのがアフリカのチームだったという背景から、
「フィジカルを強化する」ということを「日本人をアフリカ人みたいな体格にする」ことだと
どこかで誤解していたなんてことはないだろうか。そんなことは無理だというのは、
サッカーの監督でなくとも分かるだろう。
そしてハリルがそんなつもりで言っているわけではないということは、アフリカ人のような
体格になったわけではない大迫をフィジカル面で評価していたことからみても明らかだ。
 結局、日本サッカーはフィジカルの強化からも逃げたのではないだろうか。
 
そして、日本を指揮したザック、アギーレ、ハリルの3人が3人揃って、いわゆる「したたかさ」が足りない、
と指摘している。
 ハリル監督、「マラン」がW杯出場へのキーワードhttps://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/1759605.html
 
アギーレ流ズル賢さの定義とは…
 
ザックが言及「日本にマリーシアはない」 | 2018FIFAワールドカップ ロシア
 
 

日本にはマリーシア、つまりずる賢いことは「ずる」であり、やるのは恥だという文化が

あるようだ。

これは勝敗と同じくらい、あるいはそれよりも、形を重んじる文化があるということだろう。
これは比較的平和だった島国だからこそ生まれた美学だと想像する。

「柔”術”」は「柔”道”」に、「剣”術”」は「剣”道”」に発展した。
これ自体は誇るべきものだろう。
しかし、サッカーは「サッカー」であり、「サッカー”道”」ではない。
 
サッカーのルール上やって問題がなければ堂々とやれば良い。
悪質なタックルで相手選手に怪我をさせるわけでもなく、ダイブで審判の目を欺いてるわけ
でもない。
今回のW杯で感心したのはポーランド戦の最後の10分間、あのボール回しだ。
これは国内だけでなく海外でも非常に叩かれている。
しかし、「最後まで全力でプレーするべき」という理由で叩くのならポーランドも叩かねば
それこそフェアでないだろう。ポーランドは日本のボール回しに対して何もしようとしなかった。
外野はいくらでも好きなことが言えるが、こちらは言ってみれば死ぬか生きるかの瀬戸際
だったのだ。叩いているところも、同じような状況に追い込まれたら同じことをしていた
のではないだろうか。
 
日本があのボール回しをせざるを得ない状況になったこと自体は問題である。
しかし、あのボール回しは、ベスト16に残るための「ずる賢さ」であり、
それを実行できたということは「ずる賢さ」が少しついたということではないだろうか。
 
1点差で勝っている状況で、相手のコーナーでボールキープすることを「鹿島る」と揶揄するが、
これが「揶揄」でなくなったら、日本はしたたか
になっているのではないだろうか。
 
これらに対してよく聞かれた反論は「そんなものは日本人に合っていない」というものだったが、
これに関しては合っている、合っていないではない。やるか、やらないかだ。
ワールドカップという舞台が、欧米のスタンダードによって戦われる以上、その舞台で成功を
おさめるには欧米のスタンダードに少しでも近づけるように取り組まなければならない。
それが嫌だ、無理だというのならばW杯の舞台から去るか、W杯がアジア(日本)の
スタンダードによって戦われるように、FIFAを乗っ取ってルールを改変するしかない。
 
 
日本の強みを再定義する。課題から逃げずに向き合う。そうして初めて、日本代表が歩むべき道が
見えてくる。その道が見えれば、自ずとどのような監督が良いかも見えてくるし、どういう選手
育成をすればいいかも見えてくる。これが厚いベースを作ることにつながる。
 
想像してみてほしい。今までよりも厚いベースの上に、今大会あれだけ機能した乾-香川-柴崎のような
攻撃ユニットがあったら。吉田-昌子のような中澤-闘莉王に代わる新たな鉄壁が日本のゴール前を守っていたら。
想像しただけでワクワクしてくるはずだ。
そんな日本代表を見れる日が来ることを願っている。